こちらは初代(青色)の忍者列車です。両先頭が非対称だったので雪が谷検車区から来たものと判断しました。
中間のデハを抜いただけになっていました。また伊賀鉄道はもともと近鉄伊賀線で近鉄の路線でした。養老鉄道とほぼ同時期に近鉄から分離しました。
ここに関東大手民鉄車両が来ると、ここだけ別世界のような雰囲気です。伊賀鉄道のホームは東京、近鉄大阪線のホームは大阪といった具合に。
続いては最新(緑色)の忍者列車です。茅町にて撮影。これは中間車を先頭車化したもので両方ともこのようになっていました。
したがって、日比谷線と東横線で活躍していたものと思われます。ほかの忍者列車とは少し違っています。
忍者列車はここまでです。ここからは広告車となっています。遠く離れた「松阪」や「四日市」などの地名が出ています。
それでも伊賀鉄道にちなんでか、手裏剣なども描かれておりとても面白いものだと思います。
こちらの編成も伊賀神戸寄りが中間車からの改造及び電動車となっておりました。なので日比谷線直通の運用に入っていた車両と判断しました。
その上、伊賀上野寄りが先頭車かつ付随車となっていました。
これは伊賀鉄道のマスコットキャラクターである「ふくにん」がラッピングされています。個人的には一番お気に入りなシリーズです。
ただ運用数はほかの編成と比べて少ないような気もします。2012年8月15日現在では上野市検車区の奥の方に留置されていました。
やはりこちらも先頭車化改造されていました。伊賀鉄道は東横線・日比谷線で走っていた車両が多いのですね。
そして前面にふくにんが描かれています。強烈なインパクトですね。
方向幕跡。伊賀鉄道譲渡後は横幕は使われておらず、板で覆われた状態になっています。この板をはがすと「日比谷線直通 北千住」の文字も浮かび上がってきそうです。
東急電鉄の社紋跡。跡形もないと言ってもいいほどきれいにはがされてしまいました。ほかの鉄道会社では、自社のロゴマークを張り付けているところもあります。
1000系の車両番号跡。こちらの方もきれいにはがされてしまいました。ここまできれいにはがさなくてもいいと思いますが、
しょうがないですよね。呼び方も変わってしまったのですから。
伊賀神戸駅には忍者列車デビューを記念してか、このような写真撮影台(?)のようなものまであります。しかし写真を撮っている人はあまり見たことがありません。
ここからは車内に入っていきましょう。
車内に入りました。一瞬東急電鉄かと錯覚してしまうほど何も変わっていません。戸閉予告放送(「扉が閉まります。ご注意ください」)も営団時代の物でした。
東急テクノシステムのステッカーで東急電鉄からの譲渡車両だということが一発でわかります。
近鉄も出ていたので、東西の大手民鉄のステッカーが一か所に貼られるという珍しいことになっていました。
こちらも東急線時代のまま。伊賀鉄道はお盆・年末年始を除いた普通の土曜・日曜なら乗客は数えられるほどしか乗っていませんが、
このような注意書きあるということは現役時代がいかにたくさんの乗客が乗っていたのかが分かります。
伊賀鉄道に譲渡するときにつけたクロスシートです。固定で転換はできないようになっています。それぞれ運転席の方向に向いています。
ドア開閉の注意を促すステッカです。こちらも東急線時代とは大きな変化はありませんでした。