関西を走る東急電鉄の車両 水間鉄道編

車両紹介
水鉄祭・日曜えきなかマルシェ(2012年11月18日)

車両紹介

水間鉄道は大阪府貝塚市を走る鉄道。大阪であるにもかかわらず、東急の名車と呼ばれし元東急初代7000系が走っています。これには驚きました。
東急1000系も伊賀鉄道など比較的近場を走っています。
その上、初代7000系と1000系は日比谷線直通車両の新旧の関係にありました。譲渡後もこんなに近場を走るのですから、
初代7000系と1000系は切っても切れない関係と言ってもいいでしょう。
撮影日はさまざまです。水鉄祭の内容で使われている写真はすべて2012年11月18日(日)に撮影


初代7000系先頭車。この独特な顔つきがお気に入りです。水間観音駅には7003Fも留置されており、2011年の水間鉄道オータムフェスタでは「東急7000系復刻フェイス」
というイベントもありました。急行板の取り付けや方向幕も「渋谷」「桜木町」「北千住」などが出てきていました。しかしスカートが取り付けれた上、
リニューアル工事も施されており水間鉄道デビュー時は7000系という東急の後を継ぎましたが、リニューアルされたので1000形と型式を変えてしまいました。
その際にスカートも取り付けられてしまったので、なかなか無念なものでした。


一部編成はこのように中間車が先頭車化改造されました。まあしょうがないことだと思います。石川県の北陸鉄道も同じような顔つきとなっているそうです。


東急の社紋の跡です。伊賀鉄道は完全にはずされていましたが、水間鉄道はそれを受け継いでくれたようです。
また、貝塚駅と水間観音駅の発車ベルは東急のものとかなり似ていました。貝塚駅にて撮影。


どうやら7000系時代に使っていた車両番号跡もうまく使ってくれました。ただ1007となっているため、
もう一世代後の東急1000系と見間違えてしまいそうです。貝塚駅にて撮影。


なんと行先表示機はLED化されてしまいました。7000系にLEDは似合わないと思いますが、
車齢を考えると製造から今年で50年となってしまうのでしょうがないかもしれませんね。貝塚駅にて撮影。


1007Fの側面に張られている帯。どこからともなく7000系のVVVF改造車である7700系の歌舞伎色や東急8000系のリニューアル車である8019Fなど
そして7200系のVVVF改造車7600系の歌舞伎色の帯に見えてきます。もう少し太ければそれらに匹敵しますね。
しかし新7000系が投入されているため、歌舞伎色は風前の灯状態です。
東急8000系は現役を引退し、伊豆急行やインドネシアに譲渡されました。リニューアル車の方は、廃車になったのでしょうか。貝塚駅にて撮影。


1000形のトップナンバー。オリジナルの先頭車で、このライト配置を見ると目蒲線を連想させてくれます。


1007Fの正面をもう一度。このライト配置は何回見ても飽きません。尾灯が弘南鉄道、北陸鉄道、水間鉄道では丸形ですが、福島交通のみ角形となっています。。


ライト部分を拡大。真中には、7000系時代のMIZUMAのロゴマークが残っています。いいアクセントになっていたと思いますが、リニューアルの際に大きく変わってしまいました。

ここからは車内に入っていきましょう。

車内に入りました。7000系の雰囲気は残念ながらあまり伝わってきませんね。窓枠などの構造はそのままなので、それを見てしまえば初代7000系になっていまいますね。


優先座席のみ寒色系のモケットとなっています。しかし、2両編成のうちの1両目(貝塚方)の部分にしかないのが難点です。


運転台です。なかなか狭そうで、運転手さんも運転しにくそうです。東急の中では最後の2ハンドル車です。東急7000系以降(8000系から)はワンハンドル車になりました。


東急線時代の回生ブレーキが残っていました。しかし水間鉄道では使われておらず、空気ブレーキでの制御となっていました。


冷房です。7000系時代は非冷房で、譲渡後もそのままでした。リニューアルの時に搭載し、冷房車となりました。そのためか、インパクトが少しあります。


こちらの方は7000系時代と同様、扇風機がついていました。これと冷房が併用されているので、車内はとても涼しいものでした。


車端部にある銘板です。リニューアルされた水間工場のサインがあります。東急線時代からデハという呼ばれ方が、引き継がれているようです。
7000系は地下鉄線対応にするため、全電動車(オールM車)という重厚な構造になっていました。


なんと貝塚方の車端部では、本当の製造会社である東急車輛の銘板がありました。昭和38年製ということで、東急線時代からは無変化です。


出入り扉はそのまま、と言いたいところですが東急独特の「ひらくドアにごちゅうい」のステッカーがはずされてしまっていました。
まあそれほど大きな変化はなかったことは幸いでした。


整理券箱などです。水間鉄道はワンマン路線であってもPITAPAやICOCA対応になっていて、整理券のとり忘れが減るということなので便利だと思います。
ただ、タッチし忘れてしまったなら話は別ですが。


運賃表示機。どこかで見たことあるようなんですが・・・。私の気のせいかもしれませんが、高槻市交通部の整理券便の表示と水間鉄道の運賃表示機が
ものすごく似ていると思いました。同一の機器を使っているのでしょうか


左(上)は車内の運賃箱。右(下)は貝塚駅の運賃箱。やはりこちらの方も高槻市交通部の物と似ています。こちらに関しても同一の機器を使っているのでしょうか。


東急線時代の名残はほとんどないと思っていましたが、つり革の方に目を向けると・・・。そうです。東急百貨店の広告です。
ここは東急線時代のものと全く変わっていません。この車両はきっと日比谷線で走っていたのでしょうね。とても感動的でした。


どんどん探していくと、このようなものまで発見しました。「東急食堂」や「東横のれん街」などいかにも東急線時代を物語るものです。
車内に入った瞬間は名残はあまりないと思いがちになってしまうのですが、注意深く探していくとこのようなものまで見つけ出してしまうほどです。
水間鉄道もリニューアル工事の際はこの辺は残しておこうと考えたのでしょうね。

水間鉄道も東急7700系の導入を検討してほしいところです。外観が全く同じ車両であるにもかかわらず
編成によって違う音を発するということはとても面白いことだと思います。新7000系による置き換えが進んでおり、7700系も時間の問題です。
青森の十和田観光鉄道に7700系と7200系が走っていた時は個人的には目蒲線かと思わせるほどでした。規格上は問題ないと思います。

2012年10月28日現在、水間観音に留置されている7003Fが東急フェイスになっておりました。


反対側7103Fは水間鉄道7000系時代のフェイスになっていました。方向幕や水鉄ロゴマークも健在です。


7103の貫通扉の窓には「ハンドスコッチ使用 休車」と書かれています。そして隙間から車内を除きましたが、東急時代の車内のままです。


方向幕は簡易なものになっていました。しかし水間の表示ももう消滅してしまったので、簡易なものでもかなり貴重なものだと思います。


反対側のホームから撮影。側面のステンレスが日光に当たってピカピカ光っています。これも東急の車両だったことを物語っていますね。
ちなみに東急初代7000系は日本初のオールステンレスカーです。東急のステンレス車の始まりは7000系に当たります。


7000系はディスクブレーキ付きのパイオニア台車が採用され、東急時代の時ではかなり話題になりました。


水間鉄道で活躍する車両(編成)をあげてみます。

東急時代の顔の先頭車
貝塚方より デハ1001・1002
貝塚方より デハ1003・1004



先頭車化改造車(元・中間車)
貝塚方より デハ1005・1006
貝塚方より デハ1007・1008



7003F(休車)
デハ7003
デハ7103


水鉄祭・日曜えきなかマルシェ

2012年11月18日、水間観音駅付近にある水間工場にて水鉄祭がありました。また毎月恒例のえきなかマルシェも同日にありました。

貝塚駅にて撮影
南海線で貝塚駅まで向かい、水間鉄道に乗ります。余談かもしれませんが、私は1003と1004に乗るのは初めてです。


車内にて撮影
車内にはこのような広告が高々と掲示。私は水間鉄道のHPで情報をつかみました。


水間観音駅にて撮影
そして水間観音駅に到着。天気が悪い中、ここまで用意するのはさぞ大変だったと思います。


脇道から撮影
今回マルシェになった車両は1007-1008です。去年(2011年)は東急7000系復刻フェイスがありました。


水間工場敷地内にて撮影
今回の見どころはココ!!7003-7103の車内が一般公開されました。早速中に入っていきましょう


水間工場敷地内にて撮影
右側にあるハシゴから車内に入っていきます。このアングルから撮影するのは初めてのことです。


車内に入りました。東急時代とほぼ変化なしです。赤いモケットも当時の雰囲気が読み取れます。


座席に座ってみるとこのような感じに。座席端にあった握り棒、つり革は撤去されています。このような状況では定期運用には就けませんね。


東急から譲渡されてからほとんど改造されていないので当然ながら非冷房です。夏は計り知れないほど暑いでしょう。


7103の運転台。こちらは定期運用に使われている1000形と至って変わりません。ただよくよく探していくと日比谷線乗り入れ用(地下鉄対応)の装置も残ってそうな雰囲気です。

ゴムなし
ゴムあり
ドアには7103にはゴムはありませんでしたが7003においては窓周りにゴムがついています。理由をご存知の方は一報ください。


左右(上下)で色が反転しています。東急のドアステッカーというと伊賀鉄道のページでもあるように、クマが描かれているのを思い出すのですがね。


登場当時に話題となったディスクブレーキ付のパイオニア台車が窓から見えました。単品で見たのは初めてです。


優先席のみグレーのモケットとなっておりました。東急時代もこのようなものだたったのでしょうか


東急車輛の銘板。左にあるのは昔の東急の社紋で、1973年に現在の物になりました。その上、東急車輛は総合車両製作所になりました。
よって双方ともなくなってしまったもので、この銘板はかなり貴重なものです。ちなみにこの時は車体に「TKK」のマークを掲げていました。


そのほかの銘板。写真にあるものは東急線においてはすべてなくなってしまいました。これだけきれいに残っているなんてとてもすごいことだと思います。


車内安全啓発看板。この看板は長い間に亘って引き継がれてきました。数順年後に登場した、8500系や9000系にも同じようなものがあります。
まさに東急伝統の看板と言ってもいいでしょう


東急7000系は日本初のオールステンレスカーです。まさにそれを象徴するかのようにぴかぴか光っています。登場から半世紀たった今でも
こんなにきれいに残るということは東急電鉄や水間鉄道の定期的なメンテナンスのたまものだと思います。


7103の車号。この字体は8500系や9000系を経て東急電鉄屈指の珍しい車両と呼ばれ、
田園都市線の輸送力を増強させるために1992年に登場した2000系の時代まで引き継がれました。


水間工場敷地から定期列車を撮影するとこのような写真になります。なかなかいいアングルで撮れます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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